海の道たどった逸品

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朝の光が、南シナ海に注ぐ川を黄金色に染める。港町の風景は影絵のようだ(ベトナム・ホイアンで)

 朝焼けに小舟のシルエットが浮かぶ。海の安全を祈って手向けたのか、波止場に置かれた線香鉢の煙を潮風が揺らした。

 古い木造町家が連なる港町、ホイアン。かつて中国やインド、アラブをつなぐ「海のシルクロード」の中継点として栄えた。

 2世紀から17世紀頃までベトナム中部で権勢を誇ったチャンパ王国が国際貿易の拠点にした。「この地(チャンパ)から沈香(じんこう)が輸出される」。9世紀のイスラム商人の貿易記録に、そうある。沈香はこの頃、すでに主要交易品だった。

 今回の正倉院展に出品される沈香の香木、「黄熟香(おうじゅくこう)」(通称・蘭奢待(らんじゃたい))の名が日本の史料に登場するのは、1193年の「東大寺勅封蔵開検目録」が最古。日本にもたらされた経緯は定かでないが、少なくともチャンパの時代に重なる。

 ハノイ国家大学のグエン・バン・キム副学長(48)は「チャンパは長年、中国に朝貢を繰り返していた。蘭奢待も朝貢品として、ホイアン周辺で中国へ向かう船に積まれた」とみる。

 チャンパから中国経由で東大寺に伝わったものが実際にある。「林邑(りんゆう)楽」。唐代のチャンパの呼び名を冠した舞楽は、チャンパの僧が遣唐使とともに来日した際に伝え、752年の東大寺大仏開眼会(かいげんえ)で奉納された。蘭奢待も同じ頃、海の道をたどったと考えてもおかしくはない。そして、遠く離れた日本で、香の文化を花開かせたのだ。

 17世紀に入り、ホイアンには朱印船貿易で日本から多数の商人が来航し、1000人規模の日本人町を築いた。

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 「港にはコショウや象牙、犀角(さいかく)などがあふれ、それを目当てに、中国、マレーシア、フランスの商人も集まった。沈香の中でも最高級のキーナム(伽羅(きゃら))は世界的に珍しく、トクガワも貴重さを知っていたのでしょう」。ホイアン遺跡保存センターのグエン・ドゥク・ミン所長(56)が言う。

 稀代(きだい)の香木収集家だった徳川家康は1606年、チャンパ国王に「ぜひ上質なキーナムがほしい」と手紙を送っていた。茶の湯や香道が隆盛し、香木が公家や裕福な武家に重宝された時代。日本人好みの芳香を放つベトナム産は、憧れの舶来品だったに違いない。

 ホイアンの日本人町も今や、面影を残すのは、トゥボン川の支流に架かる日本橋(来遠橋)ばかりだ。傍らの香木店で、中国人観光客が加工職人の手元を食い入るように見つめていた。陳列棚を飾る大小様々な沈香。通りでは、ノン(菅笠(すげがさ))をかぶった行商の女性が、かごいっぱいの香木を並べ、道行く人に声をかける。時代は移っても、沈香は街とともにある。

 港に出た。かつてここから、多数の木造船が、力強く帆に風をはらませて旅立った。波間に刻まれた一筋の航跡を思い浮かべる。刹那に消えるが、深い余韻を残す――。沈香の香煙のようでもあった。

 

香りの宝物

 第63回正倉院展の出陳宝物には、蘭奢待はじめ香りにまつわる品が多い。沈香を用いた小刀「沈香把鞘金銀荘刀子(じんこうのつかさやきんぎんそうのとうす)」、数種の香を合わせ入れた防虫用の「■衣香(えびこう)」、献香に使う「赤銅柄香炉(しゃくどうのえごうろ)」などが、奈良時代の高貴な人々の暮らしぶりを今に伝える。

 (■は「なべぶた」に、「邑」の下部に「衣」のなべぶたをとった部分)

 (この連載は、大阪本社社会部・山本慶史、同写真部・宇那木健一が担当しました)