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現役引退を表明した相川選手

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選手会長の長野選手から花束が贈られました

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23年間の現役生活にピリオド

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巨人、ヤクルト両軍選手による胴上げ

 相川亮二選手が3日、今季限りでの現役引退を表明し、最終戦前の神宮球場内で会見を行いました。

 「悔いがないと言えばウソになりますし、まだまだやりたいというのは(引退を決める選手が)全員が思うことで、現実に僕にもそういう時が来たんだなという気持ちです」と会見の席で話し始めた相川選手の表情は穏やかでした。そして「まだやれるのか、と自問自答を繰り返して、考えに考え抜いた結果が引退でした」と率直な気持ちを口にしました。

 「ずっと一線で勝負したいという思いがあって今までプレーしてきました」という相川選手。頭角を現してきた後輩の小林誠司、宇佐見真吾両捕手の名前を挙げ、「やっぱり自分が仕事をする場所がなくなった、というところが一番の理由です」と引退決断に至った思いを語りました。そして「(捕手は)苦しいポジションだと思うし、(捕手は)みんながみんな苦しいと言うと思うんですけど、中にもやりがいがあったし、人にはわからない、キャッチャーでしかわからない喜びというのを僕は見つけられたんで、キャッチャーをやってよかったと思う」と少し胸を張りました。

 23年間という長い道のり。支えになったのは「自分の優勝したいという思い」と最愛の両親でした。2012年4月に他界した母・蘭子さんが「一番思ってくれていたんで、そのためにも一年でも(現役を)長く、という思いで続けてきました」とし、「親父にも『やめるわ』って言ったら、『いやあホントによく頑張ったな』と間髪入れずに言ってくれたんで踏ん切りもついたし、本当にそれが一番」と父・忠夫さんに感謝しました。

 相川選手は、千葉・東京学館高から1995年にドラフト5位で横浜(現DeNA)に入団。2009年にフリーエージェント(FA)権を行使してヤクルトに移籍、2015年から巨人でプレーしました。世界大会にも日本代表として3度出場。2004年のアテネ五輪では銅メダル、2006年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では世界一にも貢献しました。

 プロ23年間で最も思い出に残る試合として挙げたのは、2011年のヤクルト在籍時に巨人と戦ったクライマックスシリーズ(CS)ファーストステージの第3戦、ヤクルトが巨人をやぶってファイナルステージ進出を決めた試合でした。相川選手が「8番・捕手」として先発出場してソロを放って先制、リードを守り切ったゲームでした。
その一戦を選んだ理由は相川選手がずっと持ち続けてきた「レギュラーであるうちにどうしても優勝したかった」という思い。「やっぱりキャッチャーって、優勝してナンボだと思うんです。僕は本当にそれをずっと目標にやってきた」として、果たせなかった悔しさを吐露しました。

 今季は8月4日の中日戦(東京ドーム)でプロ野球史上190人目の通算1500試合出場を達成。7月30日のDeNA戦(東京ドーム)では球団加入後初の逆転サヨナラ打を放ち、41歳0か月でのサヨナラ打は球団の最年長記録となりました。2点二塁打に「自分では(これまで巨人で)仕事をしていなかったので、ホントにあそこでまさかの結果でしたし、自分が一番びっくりして。この歳でまだ監督がああいうところで使ってくれたというのは、感謝しかないです」と由伸監督への思いも話しました。

 練習前のミーティングでチームに挨拶をしました。「3年間でしたが、みなさんの力になれなくて本当に申し訳ない気持ちが強いです。ただ、ジャイアンツでプレーさせてもらったことが、自分の中ではものすごく大きい経験となりました。悔いがないシーズンで大満足なプロ野球生活でした。来年以降、みんなの活躍を陰ながら応援させてもらいます」と少し言葉を詰まらせました。

 この日は、九回表に代打で登場。遊撃への内野安打を放ち、一塁ベースを全力で駆け抜けました。試合終了後には、巨人、ヤクルト両軍選手から胴上げされ、両軍ファンからは大きな「相川コール」が起こりました。「とにかく仲間に信頼、信用してもらえるような選手を目指してここまでやってきました」というチーム最年長の相川選手は、仲間そしてファンに愛されながら23年間の選手生活にピリオドを打ちました。